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今日は「ナショナル・バナナラバーズ・デー」だそうだ。アメリカ人は本当に何でも祝日にするのが好きらしい。独立記念日や感謝祭と同じテンションで、バナナを愛でる日まで作ってしまう。由来は単純で、19世紀末にアメリカに大量に輸入され始めたバナナが庶民の食卓を席巻したかららしい。まあ、歴史的背景というより「安くて甘いから人気出た」という話なのだが、それをわざわざ記念日にしてしまうあたり、さすがは“お祭り製造業”の国である。

そもそもバナナは果物界の便利屋だ。皮をむけばすぐ食べられるし、見た目も黄色くて明るい。栄養価もそこそこあるから、健康志向の人にもウケる。アメリカでは朝食代わりにシリアルと一緒に切って放り込むのが定番だし、ヨーロッパでも「とりあえず子どもに持たせておけ」的な安心感がある。でも、それを“愛好者の日”としてわざわざ祝う必要があるかと言えば…まあ疑問だろう。もし日本で「みかん愛好者の日」なんて制定されたら、多分ニュースにもならず静かに忘れ去られるに違いない。

ただし、この手の記念日にはアメリカ的な発想が透けて見える。「せっかくだから楽しもう」「どうせなら商売につなげよう」。スーパーでは割引セール、カフェでは限定スムージー、SNSでは自撮りと一緒にハッシュタグ付きで投稿。要するに、祝日というよりマーケティングキャンペーンなのだ。それでも人々は乗っかる。なぜなら、人間は理由さえあれば何でも“特別感”を味わいたい生き物だからだ。

ここで少し脱線するけれど、人間というのは「今日は特別だから」と言い訳できる日を欲している。誕生日にはケーキを食べ、クリスマスにはチキンを食べ、正月には餅を食べる。そして今日がバナナの日なら、とりあえず一本多めに買ってみる。冷蔵庫には既に黒ずんだバナナが眠っているにもかかわらず。「特別だから」という魔法の言葉ほど財布の紐を緩ませるものはない。読者諸氏も経験あるだろう、「限定」と書いてあるだけで余計なアイスを買ったことくらいは。

さて、このバナナラバーズ・デー、日本人からするとちょっと滑稽にも映る。しかし考えてみれば、日本でも会社帰りにコンビニでつい肉まんを買う季節行事みたいなものがあるじゃないか。それと大差ない。ただアメリカの場合、それを堂々と“記念日”として宣言してしまう勇気があるだけだ。その厚顔無恥さこそ文化なのかもしれない。

結局のところ、この日は「バナナ好きよ集まれ」という合図以上の意味はない。でもそれで十分なのだろう。我々の日常なんて、大半は退屈な繰り返し。その中で「今日はバナナの日」と聞けば、一瞬だけ笑えるし、スーパーで黄色い房を見る目も少し変わる。それくらいの軽さこそ記念日の正しい使い方なのかもしれない。

もっとも私の場合、「今日は特別だから」と言われても、熟れすぎた黒斑点バナナを見るとどうしても「いやこれはもうゴミ袋行きでは?」と思ってしまうのだけどね。それでもまあ、人類全体が一日くらい黄色い果物に浮かれているなら、それはそれで悪くない光景だろう。明日はまた別のどうでもいい記念日が待っている。その時まで、とりあえず一本くらいは食べておこうじゃないか──腐らないうちにな。